早稲田メンタルクリニック院長として働く、現役精神科医益田裕介があなたの疑問に答えます!
感情を無にするトレーニングはあるのか?
自分の病気、家庭環境など「仕方がない」と思えない時、どうしたらよいのでしょうか。
まず思いついたのが、「仕方がない」と何事にもあきらめ、受け入れていくことはだれにとっても、とても難しいということです。
何事も諦めを持って受け入れるというのは、東洋の神秘であり、到達することが決してできない、理想です。
諦観というのは、わびさびにも通じる、日本人の美意識に通じるものですが、しかし、理想は理想です。
この「理想にしか過ぎない」ということを語られる場面というのは少ないですよね
なので、自分が未熟だから到達していないのか、病気だから思えないのか、など考えてしまいがちです。
でも大丈夫です。人類史上、誰も到達したことはありません。
静寂とした心は理想郷でしかなく、しかし、そういう理想を持つことは重要だと思います
到達した、と言う人は嘘ですね
次に、では、あきらめを全く体験していないか、というとそういうわけでもありません
僕らは大なり小なり、あきらめを日々受け入れています。
スポーツ選手になるという夢は叶えられませんが、代わりに手にしたものもあるでしょう
その分、友情を育めたとか、恩師に巡り合えたとか、勉強や趣味の楽しみを見つけられたとか…
挫折を悪いものとしてでなく、受け入れられるものとして変換できれば、それでいいのです
ちなみにこれらは原初体験としてエディプスコンプレックスという難しい方をすることもあります
なので、受け入れられないものと出会ったとき、僕らはどうすれば受け入れられるのか?
・諦観という美意識をもつこと
・違った角度から物事を眺め、理解し、受け入れやすい形に変換すること
などがあげられます
感情を無にすることは不可能です
これは諦観にまつわる美意識や文化からうまれた、理想の在り方で、実現不可能なことだと思います。
しかし、どうして諦められないことを美談として称えられるのでしょう?
映画ショーシャンクの空にでは、諦められずに20年壁を掘り続け、死んでもかまわないと脱獄します。
彼があきらめずに脱獄したというフィクション成立させるために、映画は様々な技巧や嘘を織り交ぜます
長く刑務所にいた囚人ブルックスは外の世界に順応できず、自殺します。
刑務所職員は不正をします
脱獄計画は見事に成功します
そんなわけないだろう、と僕は思いますが、しかし、フィクションとして成立させるにはそれらの嘘が必要です
この映画は感動的だし、素晴らしい作品ですが、それゆえ、僕らがあきらめたくないという願望をもっていることの証明のようにも感じます
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